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チョップ

【特集】寄り添う介護って…オワコンじゃね?

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〜麻なびよりコメント〜
介護現場から医療大麻の情報を発信するチョップシリーズ。
現在はアンガーマネジメントの特集を組んでいる中ではありますが、
この記事がとても考えさせられたので間で特集します。

あくまでもチョップさん個人の意見として書かれた記事ですが、
2000年に施行された介護保険法により業界で迎えた施設と利用者が契約をするサービス業としての扱い。
そんな中でスウェーデンの介護現場と日本とを比較している内容になっています。

チョップさんのこれまでの生活では実感がなかった、しかし介護現場で目の当たりにした光景は、、
誰しもが老いそしてその先にあるかもしれない現状。

その視点から「なぜ介護現場に大麻が必要だと思うのか」が書かれています。

一言では言い表せないけど、、あえて表現するなら、もう少し心にゆとりを持って人の一生に向き合いましょう。

そう考えさせられる記事です。

親と最後の時をこれから過ごすことになる方には必見!

寄り添う介護って…オワコンじゃね?

こんにちは、チョップです。

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私は介護のかの字も知らないまま、当時、勤めていた会社を辞めて、福祉の世界に飛び込みました。

そこから約6年ほど、右も左も分からないまま3年の月日をかけて介護福祉士の資格を取得し、さまざまな認知症高齢者さん達に揉まれて今日に至ります。

そのなかで、私が以前から介護現場で働きながら感じていた違和感を思うがままに書きます。

まず、ここで勘違いしてほしくないのは、あくまで私個人が感じた矛盾というか、その考え方に共感できないという部分を書いています。

全ての介護従事者が、私のような考え方をしているわけではないということを念頭においてご覧ください。

寄り添う介護が、なぜオワコンなのか?

2000年4月に介護保険法が施行されて以来、老人ホームは利用者との間で契約を結ぶサービス業として位置づけられ、介護職員にも介護をサービス業として捉えなおす意識改革が求められるようになりました。

言わば、介護業界にも競争社会の波が押し寄せてきていたということです。

介護を単なる技術論として捉えるのではなく、介護サービス管理の観点からサービスとして捉え、利用者に提供しないといけなくなったということに対し、多くの介護を生業としている人間が混乱しました。

もちろん、介護現場の問題を改善するためにはどのようにすればよいのか、具体的な案が求められるようになります。

その頃から、福祉関係者にとって見習うべきは北欧にあるのではないかと言われ、理想の福祉を求める国として、多くの人が北欧で行われている福祉や現状に衆目していました。

実際に介護現場で働いている私自身も、海外での介護というのは一体どのようなものなのか気になっていました。そんな時に一冊の本と出会います。

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期待に胸を膨らませ、現地に視察へ向かうも、そこに求めていた福祉というものは存在せず、こちらが得ていた情報が幻想に近いものだということがわかり、こちらが勝手に抱いていた理想や期待は音を立てて崩れていきます。

日本的な寄り添う介護とはほど遠く、暖かいふれ合いというよりも、職員と利用者は一定の距離を保った支え合いです。至れり尽くせり、おんぶに抱っこというよりも、最後まで自分のことは自分でしなければならない厳しさもあります。

スウェーデンでは、そもそも利用者と職員は家族の関係ではなく仕事として介護サービスを提供しているだけ。自分でできることは自分でやるべきという共通認識があり「自分でできるでしょ」という言葉も日常的に使っている。家庭的な寄り添う介護を行う義務はない、そのためか職員の行動は利用者に無関心なようにも見えるそうです。

おそらく、この対応も日本がそのまま真似をしたら「冷たい」「サービス精神に欠ける」と苦情を受けそうですね。

自立支援の観点から良い悪いかは別にして、どうも親切丁寧・色々と親身にお世話をしてくれる、というのは日本人的な優しさ・心配りのようです。

日本の介護現場では月に一度、職員会議の中で利用者の生活の質が少しでも上がるために、さまざまな介護サービスを新たに提案していきます。

提案者は、なぜその介護サービスを提供した方がよいのか、利用者にとってのメリットはどこにあるのかを説明し、とくに問題なければ採用となって、サービスの提供が開始されます。

しかし、スウェーデンの職員会議の中では、よほどのことがない限り、そのような提案は行われないそうです。

なぜなら、新たな介護サービスを追加することは、現場にとって新たな仕事が増えることを意味するからです。もちろん、スウェーデンの老人ホームに日本人の考える理想の介護を実現しなければならないわけではありません。

それぞれの国なり、国民がよいと思う介護を目指せばいいことであって、それに日本人がどうこう言うべきことではありません。

そこで勤めている職員も、介護に対して屈託がないというか、情熱がないというか、気負いがないというか、いい意味で自然体で「ゆるい」のです。

職員一人ひとりがゆるいので、現場の雰囲気もマイペースで落ち着いており、目をつり上げてがむしゃらに働くような日本ではなく、スウェーデンだからこそ利用者からも文句が出ず、働く職員もそれで構わず、家族も納得しているのなら、これはこれでいいのです。

日本人は、「理想とする介護を学ぶ」ことにこだわってきましたが、スウェーデンから学ぶべきだったのは、素晴らしい介護でもなく、ユニットケアや美しい建物でもなく、職員個人の気持ちが楽に働くことができる職場の環境なのではないかということです。

ここまで見ていただいて、全ての人がスウェーデンで行われている介護に関して共感できないという人もいると思いますが、共感できる人もいると思います。実際、私は共感できることが多くありました。

興味のある方は参考記事として、コチラもご覧ください。
海外の介護事情の気になる方は、コチラもどうぞ。

私は決して「寄り添う介護」という考え方を否定しているわけではありません。その利用者さんが亡くなるまでの間、寄り添いながらサポートしていくことは素晴らしいことです。

ですが、その気持ちが強いあまりに自分の首を自分で締めていたり、知らず知らずに誰かが誰かを追い込んでいたり、介護職員のエゴを押し付けている現実も少なからずあるようにも思えるのです。

何よりも、今の介護現場の現状を見る限り、無理があるとしか思えません。人材不足に頭を悩ませる原因の一つに、「介護(福祉)はこうあるべきだ」という固定概念が邪魔をして、他の意見を寄せつけないという空気が漂っているようにも感じてしまいます。

それも離職につながる原因の一つではないでしょうか?

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寝たきり大国『日本』

そうなると、日本の介護に対する価値観というものに疑問を感じます。

普通の会社員として働き、人生の途中から介護職員として新たなスタートを始めた私にとって、介護現場というものはあまりにも衝撃的でした。

認知症や体の拘縮が進み、寝たきりとなった状態で1日中「アー、ウー」しか言葉を発せない状態の高齢者を何人も目の当たりにしたときに「自分もこんな風になるのか…?一体どうしたらいいんだ?」と目の前が真っ白になりました。

誰も自分が老いた姿を想像したことなんてないと思います。私もそうでした。介護の世界に飛び込んで、自分自身が死生観についてあまりにも無頓着だったことに思い知らされたのです。

誰も自分が認知症になったり、寝たきりになった姿なんて想像しません。いや、想像なんてできないでしょう。実際に見たことないなら尚更です。

でも、自分は見ました。その現実を突きつけられたショックで食事も喉を通らず、夜も寝られなかったことをトラウマのように覚えています。

介護現場で働いたことがある人なら、誰しもが共通として「こんな風になる前に死にたい」「苦しまず、楽に死にたい」と思ったことがあるはずです。

現に利用者である高齢者さんからも、そのセリフを何度も聞いた人もたくさんいるのではないでしょうか?

体中を管だらけにされたり、胃ロウを増設されて口から食事を摂れなくなったり、自分が望まないのに生かされ続けるということが、辛いのか幸せなのかすらもわからないまま生かされ続けるのに、何の意味があるのでしょう?

日本で安楽死は認められていません。安楽死というものが認められれば、日本の福祉の存在意味がなくなると思われているのかもしれませんが、そんなことはありません。自ら死を選ぶということは「個人の尊重や尊厳を守る」ということに他ならないと私は思っています。

国によっては安楽死を認めていたり、胃ロウの増設による延命処置は虐待だという考えの国もあります。自分の死は、自分自身で決めるべきだと考えられているからです。たとえそれが最愛の家族であっても、そこまでしないと生きられないのなら、それまでの寿命だと理解し、延命を望まないのです。

介護従事者である私がこのようなことを言うのは間違っているのかもしれませんが、自分の死は自分で決めるべきだと強く感じました。

アルツハイマー型認知症だと医師から宣告を受けたオランダ人女性が、安楽死を希望したことがニュースで取り上げられ、話題になりました。

この女性の娘は「自分の母親が目の前で安楽死するのはつらい。でもそれは私たちではなく、母が決めたことです。決断に正解も間違いもない。死にたいと決意することは難しいけれど、生きたいと決意するのも同じように難しいと思う。母は『こんな決断をするなんて勇気がありますね』と言われるのを嫌がった。認知症のまま生きることを選ぶのだって同じくらい勇気がいる」と話していました。(参考記事:「真夜中5分前」の安楽死 認知症にのまれる前に

もちろん、簡単に「死は正しい選択だ」とは言い切れません。当事者本人や、それを取り巻く家族たちの気持ちは複雑であり、正解や不正解なんて他人がどうこう言うべきではないかもしれませんが、やりきれない気持ちになるのは確かです。

それでも生きたいという人だっているでしょう。それも個人の選択です。その選択を尊重し、個人が亡くなるその日まで、介護従事者として寄り添っていくのなら、これほど福祉冥利につくことはありません。喜んでお供します。

ではなぜ、他国と比べて圧倒的に日本は寝たきりの高齢者が多いのでしょう?その答えの一つとして、この動画を紹介したいと思います。

年を重ね、辛い思いや苦しい思い、病気などによる痛みを我慢してまで生きたいかと言われると、正直嫌です。

この先、動画を見る限り、日本で安楽死が認められることはまだまだ遠い未来の話ではないのかと感じてしまいます。

ならば、どうしても辛い日々を送らなければならないのであれば、せめて選択医療として大麻を使用することが、そんなにダメなことなのでしょうか?

大麻を有効活用することで、辛い気持ちを少し和らげることができたり、飲みたくない薬を減薬して大麻に移行したりするだけでも救われる人がいるのではないでしょうか?

大麻使用罪なんて下らない法律を作っている場合では決してありません!

大麻を有効活用するための議論を行い、大麻を使用して、人間としての生活の質を上げることに目を向けるべきだと私は強く思うのです。

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最後までご覧いただき、ありがとうございました。

私は、全ての介護・福祉従事者の方や在宅で介護をされている方に少しでも多くの情報をお届けしたいがために、無料で掲載しております。

少しでも「チップ」という形でご支援頂けるのであれば、noteを続けるモチベーションにも繋がりますので、サポートが可能な方は是非よろしくお願い致します。少しでも私に興味を持っていただけましたら、「スキ」と「フォロー」も、よろしくお願いします。

私のプロフィールをご覧いただければわかると思いますが、私は認知症高齢者の選択医療として大麻を解放させるべきだと感じ、活動しています。

現在の日本で大麻を使用することは違法です。大麻に対して、多くの人が偏見を持っていることも重々承知しています。ですが、現在合法となった国も以前はそうだった国がほとんどです。

そして、2020年12月に国連が医療大麻の有用性をついに認めました!まだまだ全世界が、大麻の有用性について賛同したわけではありませんが、現在、約50カ国が大麻を医療目的として使用しています。

 

DON DON PUFF / LONSDALERS

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