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医療大麻裁判レポート 最終回

2017.7.25

今日、7月25日は山本 正光さんの命日です。
この記事の一番最後に山本さんの生前の姿があります。
逢いに行ってみてください^^

麻なびでは今一度、山本医療大麻裁判の記録をサイトにて発表します。
第一回公判 http://wp.me/s7UyCb-trial1
第二回公判 http://wp.me/s7UyCb-trial2
第三回公判 http://wp.me/s7UyCb-trial3
第四回公判 http://wp.me/p7UyCb-75
第五回公判 http://wp.me/s7UyCb-trial5

この裁判を支えた「NPO法人医療大麻を考える会」でも述べていました。
「医療」の概念には幸福追求権、生存権などが含まれ、当然、健康に生きる権利、苦痛からの解放(緩和)、プライバシー権(公共の福祉に反しない限り、個人は自由に選択し、生きる権利がある)も含まれる。山本さんが立派だったのは、「愛する人たちとどういういふうに臨終を迎えるかということが非常に大切だ」というようなことではなく、自分が生き延びるためだけではなく、ほかの多くの患者さんのためだという精神があったからで、そうでなければあそこまで戦えません。

この ”姿勢” を貫いた生き様は、今でも風化することなく「麻なび」の心にも刻まれています。

ありがとう。

麻なび事務局


東京です。

7月25日(月) 12時16分 山本 正光さん 逝去

14089170

山本医療大麻裁判は、第一審の判決を迎えることなく終わりました。

26日にその訃報を知り、全身の力が抜けました。

27日に友人と、山本さんの事をたくさん話しました。

28日に告別式で、感謝と労いの言葉をかけてきました。

カラダからもう魂は抜けていて、そこには生き抜いた姿がありました。

僕が初めて出会った時、山本さんはもう末期ガンの宣告を受けていて、医療大麻裁判の戦いが始まる少し前。

お別れに訪れた人は、この裁判とは別の場所で、もっと前から山本さんと出会った人が多くて。

ご家族や、職場の仲間、彼のことを好きな人がたくさん来ていました。

そんな穏やかな日常が、彼にも当然あったのだと。

戦っている彼しか見てこなかった僕は、はじめてその瞬間を感じたのかもしれません。

そんな山本さんの日常に触れると、彼の起こした行動はとても勇気のいることなのだと、
改めて感じました。

参列者の中には、大麻の真実を知らなかった人も沢山いたはず。

自身がメディアに出ることが、家族に何かしらの影響を及ぼすことも踏まえて、
山本さんはこの戦いに挑んでいたという現実が見えました。

それでも彼が行動した根底には “一途に生きたかった” というシンプルな答えしか見えません。

この感情こそが、今回の医療大麻裁判の肝です。

裁判官や検察官にも、その思いを感じていて欲しいと切に願います。

大麻は安全で、医療大麻でたくさんの人々を助けられる事実と、
真実から目を背け、こじつけの情報操作をする日本政府がいる。

この裁判を知った人は、この現状に正面から向き合って欲しいと思います。

医療大麻という問題だけ通して見ても、この世界に組み込まれたシステムは
自分勝手で世知辛い。

答えはシンプルなのに、何かが、それを拒絶している。

一体なにが??

それに向かって山本さんは、最後まで命を燃やしていたのだよね。

病床で最後の時を迎える前に、山本さんは急に起き上がって、

「チクショー」と叫んで、、息を引き取ったそうです。

「山本さん、マジでお疲れ!」

僕にはその言葉で彼を送ることしかできませんでした。

山本さんはこの戦いの中で、痛みを感じる本人として、命の危険と隣り合わせにいた本人だから、
やっぱり “孤独” を感じることがあったよな。

とか

どこにもぶつけられない感情が、時には激しくなってしまう瞬間があったとか。

友人とそんなエピソードも含めて話す中で、

裁判を応援するという壁を超えて、シンプルに友達としてもっと会いに行けばよかった。

そんな後悔が残ります。

山本さんが一番欲しかったのは“それ”だよね。

だからね、変な意地をはるのって、すっげーーーくだらねぇ!

そう思ったよ。

さて、医療大麻裁判のレポートも最終回です。

最後は明るく、希望を持って、二つのエピソーで締めくくりたいと思います。

人類の歴史上 大麻を“悪”としているのは、たかが一世紀たらず。

この稀な時間を過ごす僕らは、見方を変えればとても貴重なタイミングを迎えているのかもしれません。

そんな時代の中で、日本の現状を変えたいと行動した末期ガン患者がいた。
友達が彼の家に遊びに行った時、スッゲーびっくりしたのさ。

そこで見つけたものは、彼が大麻を使って、自分の癌に対するマーカーの数値をここまでか!
ってほど事細かく記載していたデータ。

自分が白衣を着た写真を見せて「医者になるんだ」と言ったそうな。

自身の病をもって大麻の有効性を実証し、データを持って実感し、
その成果をまだ見ぬ医療大麻の現場で役立てようとしていたんだ。

どん底で前を見る。ぶっ飛んだパイセンだろ?

医者から命の宣告をされても、命を進めることしか考えていなかったんだz。

もう一つのエピソードはさ、、

今年の5月19日の噺

手術をして、退院した山本さんを元気付けようと友達と一緒に会いに行ったんだ。

山本さんの地元の海を見て、車で流して、麻心っていう海の見えるカフェで
ガンジャビール飲んで、タバコ吸って、、

多分、山本さんにとってすごく体調のいい、特別な一日だったと思う。

そこでさ、駐車場に車を止めて、海に向かう道のりで、
両手を上げて、人差し指を天に向けて、

「ファンタスティック!!」

彼がそう叫んだんだ。

俺、ちょー笑っちゃってさ。

末期ガン患者が、ちょー元気じゃん!みたいな。

こんな一日を一緒に過ごせた事が、同じ志を持つ俺としては宝物なんだ。

現代の、日本の大麻歴史に彼はくっきりと足跡を残してくれたね。

産業、医療、嗜好、いろんな業界が生まれて色々な意見があるけど。

大麻の全てを認めないなんて、大人げないよ。

知らないのに、発言するのはバビロンと変わらないぜ。

もっともっと近づいて、繋がっていこう。

 

最後に、このレポートを読んでくれた皆さん。本当にありがとう。

医療大麻裁判のレポートはこれで終わるけど、これからも大麻解放に向けて
自分にできることを進めてまいります。

よろしく、お願いします!

本当は無罪を勝ち取った後にこの動画を載せて、山本さんこんなこと言ってたね~
っていう流れにしたかったのだけど。

最高に前向きな動画で、このレポートを締めたいと思う。
あの日、この裁判をウィットに話す俺の友達。 2016.5.19@麻心

R.I.P 山本正光 愛してます

 

DON DON PUFF / LONSDALERS

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