大麻の歴史〜明治以降

〜明治時代〜 政府が大麻栽培を奨励

明治6年、北海道の治安維持と開拓するために屯田兵制度ができる。
明治政府は、北海道で養蚕と大麻栽培の産業を奨励。
札幌区と石狩郡で、約75%の大麻が栽培され主に漁網用に活用された。

明治6年 明治政府が北海道での大麻栽培を奨励
明治9年 農務省技師 吉田健作 渡欧
明治19年  日本薬局方(厚生労働大臣が定めた医薬品の規格基準書)の第一局に印度大麻草と印度大麻草エキスを収載
明治30年 北海道製麻会社 設立
明治40年 帝国製麻 設立(北海道製麻と日本製麻の合併)

戦国時代に綿が日本に入り、着るものは麻が主流ではなくなる。
しかし、明治以降になると麻の精製をする会社も設立される。
札幌農学校(現・札幌大学)では、大麻草と亜麻栽培が正式な教科内容だったと、実験実習報告書に記録されている。日本人はその後も、大麻の恩恵をうけながら豊かな生活を営んでいたのである。
また、民間人は鎮痛剤や喘息薬として大麻を使用していた。

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北海道では、今もなお野草大麻草が生息しており、政府によって年間100~200万本が抜き取られている。

この時代の名残ですね。

 

〜大正時代〜 医療用大麻を薬局で販売

第一次世界大戦(1914~1918)
成長が早い、耐久性が高いという特徴を持っている大麻は、軍事用のロープ、軍服などに利用される。

大正時代、日本薬局方が第四局になり、内容が大幅に変更された。
明治には、日本薬局方に印度大麻草と印度大麻草エキス。大正時代(1921年)には印度大麻草チンキが追加され、内服で鎮痛薬や催眠剤として外服で巻煙草にして喘息薬として用いている。

大正14年に発行された「不思議によく利く薬草薬木速治療法」

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この時代は大麻を医療として活用し、薬として処方されていた。
日本は大麻を昔から利用してきた。
その為、種類の違う印度大麻でも抵抗なく受け入れてきた。

大麻取締方が施行されていなければ、日本人は衣食住で、大麻を更に有効に使った民族かもしれません。

 

 

〜昭和の第二次世界大戦前〜 外圧に翻弄される日本の大麻

戦争でアヘンが利用されると、多くの中毒者を生み、さまざまな悲劇を迎えた。

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国際的な取組みを訴えたアヘン条約によって、一度は対象を免れた大麻も第二アヘン会議条約で統制対象となる。

昭和5年 麻薬取締規則 制定
医薬品として使われていた印度大麻草は輸出入が許可制となるが、産業用大麻はまだ規制対象外であった。

昭和15年 農務省が大麻繊維の売買価格を国家統制品にする(終戦まで国に管理される)
戦争や多くの外圧が理由となり、大麻は国で管理される事になる。
さらにアメリカが大麻を禁止したことにより、農家としての大麻従事者は激減し、日本の大麻畑は衰退の一途をたどる事となる。

昭和22年 農地4000ヘクタール 従事者25000人 東京ドーム約856個
昭和23年 大麻取締法 施行(大麻栽培が免許制になる)
平成22年 農地10ヘクタール 従事者70人 東京ドーム約2個

こうして、日本(敗戦国)の大麻文化は一気に規制されていく。
結果、大麻と共に育んだ日本文化は、人々から次第に忘れられていく。
その後、殆どの日本人が国やメディアの発信する情報によって、これまでに受け継いできた事とは全く逆の、大麻に対して悪いイメージを持つようになる。

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大麻の世界史に続く ➡

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