父は旅立つ2年前に私に言った「大麻はわしに効くのか?」


〜麻なび特集〜
父と娘が大麻を通して過ごした最後の2年間。
「おい、よしの(娘)大麻はわしに効くのか?」
旅立つ4ヶ月前には胃がん、心臓肥大、前立腺肥大、etc、、、
「お父さんも一服してみる?」
見送った後に医師はこう言ったという。
「老衰です。これだけ元気なのが奇跡です。何をしてらっしゃるのですか?」
83歳で大麻デビュー、85歳で迎える最後の時まで人生をどう過ごしたのか!?
2010年からの2年間で実際にあった「父と娘と大麻の物語」をノンフィクションで特集。
世界中で解禁されている医療大麻の本質がここにあります。

掲載にご協力してくださった亀田佳乃さんに感謝いたします。
麻なび事務局

父の命日に勇気を持って捧ぐスペシャルカミングアウト物語

「おい、よしの大麻はわしに効くのか?」
今を遡ること7年前の春、父は私におもむろに聞いてきた。

当時の私は、大麻の真実を語り、地元でイベントを主催したり、東京方面に出掛け様々な人たちと語りそれはそれは、精力的に活動をしていた。

あの頃、我が家に遊びに来てくれる友人のほとんどが、大麻の有効性を知り尽くした強者たち。なんとかして、この大麻の良さを人々に伝え、悪法を止めるにはどうしたらいいか?

それ以外、話題はないの?ってぐらいその話題で持ちきりだった。

母を亡くしたのは10年前。
父は、15歳も離れた最愛なる妻に先立たれ、あまりのショックから若干認知症が進み
足腰が弱り、ある日、我が家の階段から落ちて手首を骨折。頭も強く強打し
救急車で運ばれ、手首の治療を受け、自宅に帰っていたが、今度は、突然おかしくなり
異常に気づき、病院に行ったら、頭に血が溜まっていて、緊急手術を受け、九死に一生を得て
自宅療養していた。

病院が大嫌いで、私たちにも病院へは余程でない限り行くなと、家訓のごとく言っていた父。
入院していた時に、出張で出掛け、帰ってきたよぉ。と、見舞いに行くと
その日の晩には、病院を抜け出し、パジャマのままタクシーに乗って我が家に帰り
「帰ってきた。すまんが、タクシー代払ってくれ。」
慌てて病院に電話したら、病院中大騒ぎで、探していた。
「良かったです。明日、そのまま退院して下さい。」と、言われ
病院を自ら脱出し退院を勝ち取った
と、いうエピソードもあるぐらい家が大好きで、娘を愛してくれていた。
大好きな大好きな大好きな父だった。

手首の骨折から、生涯現役でありたかった夢をあきらめ
治療家の仕事から引退し、息子に代をゆずり
週3回デーサービスに楽しそうに通い、週3回ホームペルパーさんが来てくれお風呂に入れてもらいほぼ毎日、母屋の隣棟にある我が家の2Fリビングに
一生懸命階段を登り、父専用のソファーに座り一緒にお茶を楽しむのが日課だった。

そんな父が、おもむろに聞いてきたのである。

「大麻はわしに効くのか?」と。

一瞬たじろいだが、確かに、父に話をした事はあっても体験させてあげた事はなかった。

「お父さんも一服してみる?」

その時、本当にたまたま少量持っていた大麻を父と一服した。

(今は、一切持ってませんよ。そうじゃなきゃ、
こんなカミングアウトしませんからね
もうひとつ付け加えれば、一服は、悪法の外ですからね。
どうか勇気を持って書くその真意をお汲み取り下さいませ。)

すると、すぐに何かが分かったのか
「なるほど、雑念が飛ぶな。素晴らしい」
と、感動してくれ、以来、仲間となった。

83歳デビュー

85歳で、この世を旅立つその時まで、
父は大麻を理解し愛用し
つつがなき晩年を送った。

娘や息子たち家族全員を回りにおき
通う先でも「先生」と愛され

旅立つ4か月前に胃ガンが見つかるも手術を断り
旅立つ1ヶ月前まで、入院もせず、自宅で元気に過ごし

入院した時は、ドクターから
ご年齢から、心臓肥大、前立腺肥大、胃ガン、後、もう覚えてないけど
2、3言ってた。とにかく、老衰です。これだけ元気なのが奇跡です。
何をしてらっしゃるのですか?言われたが、当時本当の事は言えず・・・

最後の入院先のホスピスで、
天使や観音さまのようなそれはそれは優しい看護婦さんたちだけに囲まれ
人としての人権を守られ
病院の薬は一切お断りし、退院させられたらまずいので
精神安定のための漢方薬だけ処方してもらい

毎日、必ず家族の誰かが付き添い、泊まり
胃ガンじゃなかったっけ?ってその病名を疑うほど
美味しそうにご飯を食べ、おやつを楽しみコーヒーを飲み
一切痛みなく

旅立つ1週間前に、父と娘の小豆島二人旅を楽しみ
病院のベットでは、見ることのできない
海を眺め
木々の揺れる風を感じ
山々をめで
そこでもまた、人との交流を楽しみ
初めて行ったお店で、急にコーヒーご馳走して頂いたり

父と布団を並べて手をつないで寝たのは、幼少の時以来だった。
紙パンツを忘れて、父には申し訳なかったが
夜中、トイレに行きたいと言う父を支えながらトイレに行ったのも
今となっては、良き思い出である。
病院では味わえない時間を共に過ごせた。

最後の最後、最後の2日間だけ
激痛で本人が「麻薬を打ってくれ」と言ってモルヒネを打った。

意識がはっきりしている間に、孫たちに
「達者で暮らせよ」と、言葉を残し

眠る2日間、私は、父の手を握り続けた。
その手からは、まだまだ生きたかった父の
残っていた生命エネルギーや叡知を送ってきてくれていた。

それは、
治療家として、多くの患者さんの健康のお役に携わり
おごぶるのでも、高ぶるのでもない
ただただ家族を愛し守り、日々、精進していた父の人徳でもあるが

大麻があったからこその
豊かで、穏やかで、人としての人権が守られた
健やかで幸せな晩年だった。

2012年11月6日
今から5年前の今朝、薬で眠る父に私はいろいろ話をした。
家のこと、これからの事。思っていること
そして、愛していること。

様々な事を伝えると
何かを納得したのか
急に、息が変わり
ヒューと白い煙が体を抜け
魂が体を離れたのを目の当たりで見せてくれた。

本当は、160歳まで生きたいと、生きる事に意欲的だった父。
85歳は、無念と言えば無念だっただろう。
全てが全て、心残りなしとは言えない事もあった。

それでも、その見事なまでの死に様を見せてくれた
その時
私は、父に誓ったのだ。

父の晩年を、豊かなものにした
この大麻を必ず
人々が、誰もが、公平に使える時代をつくる。
その為に、精進する。

病院の薬なんかいらない
痛みも止められる
精神的な鬱も止められる
おだやかにお昼寝できる
娘、息子たちと、団らんできる
それを見てきた。体験してきた。

だからこそ、知ってもらいたいのです。

決して、刷り込まれた悪いものではない。
大麻は、人々の心を清々しくさせ
祓い清め
年齢関係なく
病名関係なく
必ずや、人々を健やかで安らかな時間を提供する。

大麻は野に咲く花であり
薬草であり

天からの贈り物

戦略や策略で禁じていいのもではない

今日という日、ベットで寝たきりになっている人たち
鬱々と、精神的に辛い人たち
なんらかの痛みに耐えている人たち

その人たちが、安心して大麻を楽しみ

生きている今を楽しみ味わえる日が来ることを切に切に願うのです

父よ、いつも天国から見守ってくれてありがとう。

いつまでも、ハラハラさせて本当にごめんね。

どうか、これからも見守っていて下さい。

大麻が解放され、この地上が楽園になる事を
地上に生きる全ての存在が、嬉々として幸せに健やかに心晴れ晴れと暮らせる事を
愛する者同士が、互いに慈しみ信頼し尊敬し、触れ合える素直なコミュニケーションがとれる事を

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